Go To Montain

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第7回「がっこう」開催報告(高学年チーム)


日時:2017年11月26日(日)9:30~11:00
テーマ:「がっこう」
参加人数:3名
ファシリテーター:重巣、池田、川上
記録者:川上
※記録用に対話の一部を編集して作成しています
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今回は、テーマが「がっこう」。
高学年のみんなは、当たり前のように過ごしている「がっこう」生活に、
どんな悩みや、ギモン、おもしろさやカチを考えているんでしょう??
話し合ってみました。

■なんで学校って行ってるんだっけ??
今回のテーマは学校ですが、なんで学校にみんなは行っているの?

「…なんでって言われても。考えたことなかったけれど、行くもんだって思ってた」
「ランドセルをもらったときに、学校に行くんだって思った。」
「お兄ちゃんが行っていて、楽しそうだなって。はやく行きたいなって思ってた。」
「学校にいくことに疑問すらもたなかったな。」
「…昔はとても楽しみにしてた。…今はそうでもないけど。」

じゃあ、学校に行きたくないなってときはあるんだ?
全員「ある」とうなづきます。
行きたくないってときはどうするの?
するとまた全員声をそろえて、「でも、それでも行く。しょうがないから」。

どうして?? 家の人に行きなさいって言われるから?
「いや、自分のため。休んだら勉強遅れちゃうし」
「将来の役に立つから。」
「でもさ、役にたたなそうだなって思う授業や内容もたまにある。」
「将来つきたいって思っている職業に直接使えそうな授業もある」

■授業って役にたつの??
役に立ちそうな教科って??  
「国算理社は役に立ちそう。」
「英語は、外国に行かなければ役に立たなそう。」
「そうかな? 外国に行かなくっても、日本に外国人いるし英語は役立ちそうだけど。」 「あとは、総合(総合的学習の時間)」

え?総合ってなにやってるの?
 「調べものとか、なんにでも使える時間。」
「修学旅行の旅行先の調査学習とかやった」「学級運営(お楽しみ会や席替えなど)の話し合い。」
 で、総合はどっちなんだい? 役に立つの?
「将来の役には立たないけど、学級を成り立たせるのには必要?みたいな。だから、自分 というよりかは、『学校』には役に立つ。」
なるほど、なかなか考えていますね。

じゃあ体育は? 
「役に立つ。」
「楽しいけれど、役に立たない。」
 「体育は健康管理や体の運動のためには役に立つのでは?」

となると、それぞれの授業や内容には、
「役にたつということ」と「楽しいということ」は別にあるってことだね。

じゃあ音楽は?
「役に立たない、というより、いらない(笑)」
音楽の先生が聞いたら泣くね。 

家庭科は? 「役にたつし、かつ楽しい。」
図工は? 「役に立たないけれど、楽しい。」
版画や絵を書くは役に立つ?? 
「たたない。けれど図工で学ぶことは、やすりがけとか木を切るとか、その力がつかえるときがある。家の家具をつくるとか」

 ■授業以外だと…???
授業以外に、学校で学んでることってある?
「掃除とか。ほうきの掃き方とか学ぶよね。」
というかほうきの使い方よりも掃除機の使い方まなんだほうがよくない?
「だって学校に掃除機ねーもん。」
 アメリカは掃除はパートさんがやるらしいけど。なんで日本は自分たちで掃除すんの?
 「え、自分のことは自分でやることを学んでるんじゃない?」

掃除以外には?
「え、給食とか??」
給食って何を学ぶの? 
 「食べるときのマナーとか。みんなで食べるから、人の食べ方とか見て学べるんじゃない。お皿もってたべるとか、音たてないとか、左手出して食べるとか」
 「あと給食って食べるだけではなくて用意とかあるじゃん。配膳の仕方とかも学ぶ」
「授業以外だと、朝の会、学活、クラブと委員会、運動会とか学校行事。修学旅行とかスキー教室もある。」
「修学旅行とかは班で調べものしたりするし。」
「クラブはお楽しみ。委員会はお楽しみだけでなくて、なんか重要。」

でもさ、好きなことだけ追及するのも大事じゃない?
たしかに学校ていろいろ学べるけれど、算数だけ、とか国語だけとか。
「それだとたぶん大切なことを学べない。」
「いまはたぶん役にたたないって思うけれど、それは今の自分がそう思うのであって、もしかしたら役にたつかもしれない。」

じゃあ、最後に全般的に考えて、学校に行く意味はあるって思っているひとは?全員手をあげる。 
「行かないと将来なにもできなくなっちゃうから」


■塾と学校の違いは??
では後半はちょっと話を変えて、塾(習い事)と学校のちがいについて。
塾は役にたつの??
「学校の授業に役にたつ。先どって学ぶから。」
「子どものペースに合わせて授業してくれる。学校だと、30人くらいいて、よくわかってない人が1人いても、飛ばしちゃうじゃん。フォローしてくれる先生はいるにはいるけれど。学校は授業の中で置いてけぼりになっちゃうけれど、塾(個別指導)だと少人数の子どもに先生1人だからいい。そうなると理解度にそって、勉強が教えられる。」
「自分ができないところをフォローしてくれるから、塾は役にたつ。」
「自分ができないところっていうより、学校の授業より先に教えてくれて、その内容聞いてわかんないところは自分で聞きにいく。」
「つまり塾は、学校の授業をさきどったり、もしくはフォローしたり、とにかく学校の勉強の役に立つ」

でもさ、学校の勉強の役に立つとはいえ、たとえば三角形の面積をもとめるようなことは18歳以降受験勉強を終えてから、人生で1回もなかったよ。

「そういうこまかいのは、「念のため」じゃない?」
「とにかく、将来本当に役にたつかどうかわかんないけれど、念のため、学ばしとくのが学校。」
「国算理社は、金融とか哲学とか経営とか専門的なものを学ぶまえに、子どもでもわかるようにちっちゃくしたもの。だいたいこれがあれば生きていけるってことなんじゃない?」

じゃあ、みんなが超頭よくって、先生の言うことが全部わかってて、先どって勉強してしまって、教科書の内容とかみんな理解できたとして、それでも学校に行く必要性がある?
「復習のため。昔にやりすぎても忘れちゃうから。」
「自分以外の人と触れ合う時間? そもそも学校にいかないと友達できないし。」
「一人で遊んでても飽きるし。」
「生活のもろもろ教われるし。」
「人とのつきあい方を学んでる」

学校は勉強だけではなく、友だちと出会ったり、飽きるのを防いだり、楽しく生きるためにも行くわけだね。

じゃあ、将来の夢が決まっている。その夢に近づくためにやるべき勉強もなんとなくわかってる。そんなときはそれだけ勉強したってよいじゃない?

「夢である職業につけるかわかんないし、夢も変わるかもしれないじゃん。今、不安定だし、転職?解雇?もあるし。だから、一応学校に行っとく。」

え、じゃあ保険(なんかあったときに困らない)のために行ってるってこと?

「今ある職業がずっとあるって言えないし、つぶれちゃったり異動?しちゃったり、病気のせいでクビになったり。そういうのも、よくわかってるってこと。」
「というか、そもそもさ、学校って行かなきゃいけないところなんじゃないの??行かないって選択ができるの?」

義務教育って言葉があるけれど、義務なのは子どもではなくて保護者の人。
子どもが学校行きたくないって思ったり、どうしても学校に合わなかったりした場合に、その子どもにどんな場所で、どんな風に、必要な学びを経験させられるか。それを真剣に考えるのは、あたしたち大人の仕事ってこと。

…と、こんなところで時間となりました。
さすが高学年にもなると、それぞれのことがらの背景や理由まで言葉にできていてよく見えていることがわかります。
授業、そうじ、給食…学校生活1つ1つに、どんな意味がありそうか、もしくはなさそうか、それぞれがそれぞれの基準で1つ1つ小さな判断をしているように感じました。
(文責:川上)



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